サンフランシスコでランニングが広く普及する以前、この競技は主に男性が中心だった。ベイエリアでは、女性や子ども、高齢者も受け入れる姿勢を示したランナーのワルト・スタックが、世代を超えて影響を与えた人物として紹介されている。
記事によると、スタックは1966年にドルフィン・サウスエンド・ランナーズ・クラブを設立し、多くのランニング組織が排他的だった時代に、女性や子ども、高齢者を歓迎する環境をつくった。フィリス・ナブハンは、スタックから「私はドルフィン・サウスエンド・ランニング・クラブに所属している。あなたも入る必要がある」と参加を勧められたと述べた。ジャーナリストのワード・ブッシーは、スタックのジェンダー包摂の考え方は時代に先行していたと語った。
女性の参加をめぐっては、1967年にキャサリン・スウィッツァーがコースから排除されそうになりながらもボストンマラソンを完走したことが全米の注目を集めた。さらに、ジョーン・ウリヨットの1976年の著書「ウィメンズ・ランニング」が、女性アスリートに関する誤解に異議を唱えたと記事は伝えている。一方で、スタックのクラブは当初から幅広い参加者を受け入れていたと、ドルフィン・スイム・クラブの会長ジョン・ホーナーが述べた。
記事によれば、ドルフィン・スイム・クラブとサウスエンド・ローイング・クラブは1976年、公共の土地で活動する組織は性別による差別ができないとする裁判所判断を受けて、女性の入会を認めた。ドルフィン・スイム・クラブのメンバーであるダイアン・ウォルトンは、スタックが人々を大切にし、女性も含めて包摂したことで皆が恩恵を受けたと話した。
スタックの影響はベイエリアを越えて広がり、記事によると1988年にナイキは当時80歳だったスタックを、新たな「ジャスト・ドゥ・イット」広告キャンペーンで最初に起用した。広告ではスタックが「私は毎朝17マイル走る」と語り、冬の寒さについて「冬に歯がガタガタしないようにどうしているのかと聞かれるが、ロッカーに入れておくんだ」と話す場面もあった。ブッシーは、世界の有名選手ではなくスタックを最初の広告に選んだことが、走ることは誰にでも開かれているという考え方を示したと述べた。
出典: abc7news.com: San Francisco marathon icon Walt Stack helped to open running for everyone

